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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

延熙 (蜀)

延熙(えんき)は、三国時代、蜀漢の君主劉禅の治世で使用された元号。 238年 - 257年。 プロジェクト 紀年法 『三国志』(中華書局 1974年) 『中国歴代年号考』李崇智(中華書局 2004年) 元号一覧 (中国) 他の政権の延熙(曖昧さ回避)

คำที่เกี่ยวข้อง

蜀

(1)中国, 四川省の別名。 秦・漢時代に灌漑施設が整備され, 生産が高まり, 劉備がここに蜀漢を建てて以来しばしば独立国が形成された。 → 望蜀 (2)三国時代の王朝。 → 蜀漢 (3)五代十国の王朝。 → 前蜀 → 後蜀

蜀魂

※一※ (名) (1)ホトトギス目ホトトギス科の鳥。 全長約30センチメートル。 尾羽が長い。 背面は灰褐色。 腹面は白色で黒い横斑がある。 ウグイスなどの巣にチョコレート色の卵を産み, 抱卵と子育てを仮親に託す。 鳴き声は鋭く, 「テッペンカケタカ」などと聞こえる。 夏鳥として渡来し, 山林で繁殖して東南アジアに渡る。 古来, 文学や伝説に多く登場し, 卯月(ウヅキ)鳥・早苗(サナエ)鳥・あやめ鳥・橘鳥・時つ鳥・いもせ鳥・たま迎え鳥・しでの田長(タオサ)などの異名がある。 ﹝季﹞夏。 《~平安城を筋違に/蕪村》 (2)(「時鳥草」「杜鵑草」「油点草」の文字を当てる)ユリ科の多年草。 丘陵や低山の湿った場所に生える。 高さ約60センチメートル。 葉は互生し, 狭長楕円形で基部は茎を抱く。 秋, 葉腋に白色で紫斑がある花を一~三個ずつつける。 花被片は六個。 和名は花の斑を{(1)}の胸の斑に見立てたもの。 ほととぎすそう。 ﹝季﹞秋。 ※二※ (枕詞) {※一※(1)}が飛ぶ意から類音の地名「飛幡(トバタ)」にかかる。 「~飛幡の浦にしく波のしくしく君を/万葉 3165」

蜀錦

「蜀江(シヨツコウ)の錦(ニシキ)」に同じ。

蜀漢

⇒ しょっかん(蜀漢)

蜀漢

中国, 三国の一。 後漢(ゴカン)の滅亡後, 劉備(リユウビ)が蜀(四川省)に建てた漢(221-263)の称。 二代で魏(ギ)に滅ぼされた。 蜀。

蜀黍

(1)イネ科の一年草。 アフリカ原産。 食用・飼料とするため, 温帯・熱帯地方で広く栽培される。 形状はトウモロコシに似る。 夏, 茎頂に多数の小穂が円錐状につく。 実を精白・製粉して食用とする。 高粱(コーリヤン)は本種の一品種。 タカキビ。 トウキビ。 (2)トウモロコシの別名。 トウキビ。 ﹝季﹞秋。

蜀魂

〔蜀の望帝の魂が化したという伝説から〕 ホトトギスの別名。 蜀魄(シヨクハク)。 蜀鳥。

望蜀

〔後漢の光武帝が隴(ロウ)の国を平定したのち, さらに蜀の国をも望んだという「後漢書(岑彭伝)」の故事から〕 一つの望みをかなえてさらに次の望みをもつこと。 「~の嘆」 → 隴を得て蜀を望む

古蜀

古蜀(こしょく)は、古代の蜀にあった国。東晋時代の地誌『華陽国志』にその歴史が詳しく記されているが、司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯に滅ぼされたことが記されるのみである。 東は巴、南は越、北は秦、西は峨眉山に接し、天府と称され、原名を華陽と言った。武王の帝辛(紂王)討伐にも参加し

蜀州

県を管轄した。 1283年(至元20年)、元により崇慶府は崇慶州に降格した。崇慶州は成都路に属し、晋原・新津の2県を管轄した。 1369年(洪武2年)、明により晋原県は廃止され、崇慶州に編入された。崇慶州は成都府に属し、新津県1県を管轄した。 清のとき、崇慶州は成都府に属し、属県を持たない散州となった。

蜀郡

蜀郡(しょく-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から唐代にかけて、現在の四川省成都市を中心とした地域に設置された。 紀元前285年(秦の昭襄王22年)、蜀侯綰が反乱を疑われて処刑されると、蜀郡が置かれた。郡治は成都に置かれた。 前漢のとき、蜀郡は益州に属し、成都・郫・繁・広都・臨邛・青衣・江原・

前蜀

王衍は蜀の経済力に依存して奢侈にふけり、政治は宦官に任せきりで、民衆からは搾取を行った。これにより民心は急速に離反して行き、925年に後唐軍が侵攻してくると抵抗する者がおらず、簡単に滅ぼされた。王衍は長安に護送される途中で殺された。 前蜀滅亡後は後唐の武将の孟知祥がこの地の統治を後唐より任ぜられたが、後に独立して後蜀を建てた。

後蜀

後蜀(こうしょく)は、中国の王朝名。現在の四川省に成立した。 東晋から自立した譙縦の後蜀 (五胡十六国)(405年 - 413年)。 五代十国時代の十国の一つ。孟知祥の建てた後蜀 (十国)(934年 - 965年)。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場

延延

長く続くさま。 「~二時間の大講演」

洪熙

洪熙(こうき)は中国、明代の元号(1425年)。第4代皇帝仁宗の在世中に使われた。このため仁宗は洪熙帝と呼ばれる。洪熙元年に仁宗が亡くなったため、1年で終わった。 ^ 『明史』巻九 本紀第八 仁宗「(永楽)二十二年七月,成祖崩於楡木川。八月甲辰,遺詔至,遣皇太孫迎喪開平。丁未,出夏原吉等於獄。丁巳

淳熙

閏9月:荊湖・江西にて蠢動した茶寇が平定される。 淳熙3年 4月6日:靖州の渓峒蛮が乱を起こす。 12月:蛮寇が黎州を急襲したが、すぐに逃げる。 淳熙4年 正月26日:淳熙暦が施行される。 2月18日:荊湖・四川・二広の渓峒蛮を按撫し、辺境の撹乱を取締する詔勅が出る。 淳熙5年 正月6日:程頤・王安石の学説もって人材を選ぶことを禁ずる。

義熙

2月5日:南燕を滅ぼし、山東が東晋に版図に入る。 5月14日:盧循軍が建康の近くに逼る。 7月10日:劉裕が盧循を破って敗退させる。 8月:江陵を侵した桓謙が敗死し、桓氏の勢力はみな消滅する。 11月:譙縦が巴東を侵す。 義熙7年 3月:劉裕が太尉・中書監を兼ねる。 4月24日:交州に逃げた盧循が敗死し、これにより孫恩・盧循の乱は完全に鎮圧される。

熙平

熙平(きへい)は、南北朝時代の北魏において、孝明帝の治世に使用された元号。516年旧正月 - 518年旧2月。 プロジェクト 紀年法

奚熙

鳳凰3年(274年)、会稽郡にて、孫晧は既に亡くなっており、章安侯孫奮が天子になるであろうという妖言が流行った。臨海太守の奚熙は会稽太守の郭誕に書簡を送り、国政を非難した。郭誕は、奚熙の国政を非難する書簡のことは上言したが、妖言については上言しなかったということで逮捕され、建安に送られ、船を作る労役に従うこととなった。